修行による開眼の様なものかも

初めての声の訪問者を分析したいと思います。

知らないお迎えというレポートに状況だけがあります。

私の分析と感想が一切ありませんでした。

あの時の状況を分析すると決して霊の手助けはなく

昔の言い方にすれば一種の修行による

開眼の様なものだったかもしれません。

無気力になりながら3日間眠り続ける行為は

良く考えると無気力ではなく72時間ひたすら

何も食べず無心で寝そべった瞑想の様なものでした。

当時は食事も必要な栄養さえ取れていればいいやと

半年ほど納豆ご飯と大根おろしと梅干ししか食べておらず

今考えれば質素そのものである意味、貧乏な精進料理でした。

食事の頻度も一日一食か二食程度でした。

声の訪問者が来る直前は静かに声が増えていくのではなく

急にたくさんの声がアクセスしてきました。

その初めての瞬間は音があるならプツンと

何かが壊れたか繋がった様な感じがして

視界がぶれる様にズレて一瞬で元に戻りました。

常識を持っていたので病気と思い、もちろん病院に行きました。

今にして霊感の様なものを認識したのは脳内物質による

脳の損傷がキッカケではないかと思います。

つまり脳が普通ではなくなったので霊感を認識したのです。

この状況から考えるに激しい修行により霊力を身につけると

言うのは似た様な事なのではないかと私は考えています。